「え、えっと・・・う〜ん・・・う〜ん・・・」
「そんなに難しく考えんでも、思ったことをそのまま言ったらええんよ」
「うん・・・」
椅子に座ったはやてちゃんが、机の上に置いた紙にペン先を乗せたまま口を開く。
それに対して返事をするものの、私は初めての体験に戸惑っていた。
手紙―――自分の想いを記した紙。
読んだ人は文面から相手の気持ちを読み取り、それに応える為に今度は受け取った側が手紙を書く。
それを何度も繰り返すうちにお互いを知り、貯まった文字と想いが絆へと変わる。
いつの日かはやてちゃんが教えてくれた『言葉』と、それは良く似ていた。
いつも口にしている事を文字にするだけなのだけれど、安易に言葉を口にするのが躊躇われた私は、どこかに助けを求めるように部屋を眺めた。
「・・・」
石造りの牢獄は相変わらず冷たい雰囲気を放っていたけれど、ここ数日でその様相を大きく変えている。
まず、私とはやてちゃんが座っている椅子と、部屋の隅に置かれた机。
それに対面するように置かれたベッドと、天井に吊り下げられた照明。
私が物心ついた頃から殺風景だった部屋の変化に感じたものは、違和感だった。
だけれど、朝目覚めた時に暖かくて柔らかいベッドの上で朝を迎えられるのは、とても心地が良かった。
「・・・ありがとう、はやてちゃん」
「えー、ありがとう、はやてちゃん・・・って、これ手紙の内容と違うやろ!? 急にお礼なんて・・・どうしたん?」
思わず口を突いた、はやてちゃんへの感謝の言葉。
そして当然のように返された質問。
私は彼女への回答と共に、胸の内に貯めた想いをそのまま口にした。
「部屋を眺めていたら前よりも随分良くなったなぁ・・・と思って」
彼女の視線を誘う為に辺りを見回した私は、再びはやてちゃんを見る。
気にせんでもええよ―――いつものように少しおどけて、でもそれが照れ隠しであるとすぐに分かる笑みが返ってくると思っていた私は、予想よりも幾分も低い声での返答に驚いた。
「良くなったんじゃ無い・・・やっと普通になっただけや。今までが酷過ぎたんよ」
「そうかな・・・?」
はやてちゃんの言葉をしっかりと理解できなかったのは、前の殺風景な部屋に懐かしさを感じているからかも知れない。
普通の生活で与えられる物が少ない私にとっては、体に触れ、感じた物の全てが大切な思い出になる。
「そうや」
「そっか・・・」
自身の意見を理解して欲しくて言葉を繰り返したはやてちゃんは、それでも表情を変えなかった私を見て、言いかけた言葉を呑み込んだ。
「・・・はぁ」
「ごめんね」
はやてちゃんが望む反応を返せなかった事に罪悪感を覚え、謝る。
「いや・・・こっちこそごめん。今の生活に慣れてくれば、きっと考え方も変わると思うから」
手の平をこちらに向けて制止の意を表すはやてちゃん。
私もそれに倣って口を閉じた為、二人しかいない部屋はすぐに静寂に包まれた。
地下という事もあるけれど、この部屋は外の部屋に比べて声が良く反響する。
今日のような寒くて乾燥した日は空気も張り詰めて感じられ、まるで風景と同じく制止することを義務付けられている錯覚すら覚えた。
だけれど今、この時は一人じゃない―――そう思うだけで心が軽くなる。
「ベッドや机も嬉しいけれど、私が一番嬉しかった事は・・・はやてちゃんと話せる時間が増えた事だよ」
部屋の風景が変わった日を境にして、私の世話の多くをはやてちゃんが行うようになった。
一日三度の生存確認と食事、外への散歩―――今まで看守が行っていた仕事を全て彼女が行ってくれるおかげで、看守の姿を見る事はほぼ無い。
「はやてちゃんと一緒にご飯を食べて、話をして、外に出て・・・まるで夢が叶ったみたい」
私は思わず頬を緩める。
それにつられるように、はやてちゃんも笑顔を見せる。
「私もなのはちゃんと一緒に過ごせるのは嬉しいよ。でも、なのはちゃんがこんなに食いしん坊とは思わんかったわ」
そう言って笑みを強めるはやてちゃん。
「う・・・そんな事・・・そんな・・・」
意地の悪い笑みを浮かべるはやてちゃんに反論しようと口を開いたけれど、先程の昼食で二度もパンをお代わりし、更にははやてちゃんのパンまでもらった事を思い出して、反論の矛先を変えた。
「だって・・・ご飯が美味しかったんだもん・・・」
「うんうん、可愛い可愛い」
「う〜・・・」
胸の内から込み上げる恥ずかしさを押さえ込む様に体を小さくさせた私を見て、はやてちゃんはまた大きく笑った。
それを見て、流石の私も口を尖らせる。
「・・・はやてちゃんの意地悪。パンははやてちゃんがあげるって言うからもらったのに」
「ごめんごめん。なのはちゃんが可愛かったからついやり過ぎてしまったんよ。許してな」
「うん・・・分かった」
軽い様で軽くない、そんな言葉と憎めない様子に私は、渋々を装い返事をした。
「ありがとうな、なのはちゃん・・・でも―――」
「?」
そう言って立ち上がったはやてちゃんは私の前を通り過ぎ、部屋の端に置かれたベッドに腰を下ろす。
「今のような私となのはちゃんのやりとりを書くだけでも、手紙の内容としては十分やと思うよ」
椅子に座ったまま左に半回転して、視線の先に再びはやてちゃんを収める。
「今日の食事のメニューは何だったか。今日の空はどんな色―――なのはちゃんの言葉を借りると『表情』をしていたか。それを見てなのはちゃんは何を感じたか・・・
それだけで、立派な手紙やと、私は思う。
「食事・・・空・・・」
呟きながら、ここ二、三日の空と食事を思い出す。
私の生活において変化があるのはその二つな為、その動作に特に苦労する事もなかった。
「・・・思い出せた?」
「うん・・・あっ―――」
はやてちゃんに答える為に口を開いた所で、私はあることに気付いて腰を上げた。
「?」
勢いよく立ち上がった私は椅子の軋む音をその場に残し、前へと数歩進む。
その先 にはもちろん、ベッドに座ったまま私を見つめるはやてちゃんがいた。
「なのはちゃん、どうし・・・っ!?」
私は隣に座ると同時にはやてちゃんの右手首を掴んでこちらに引き寄せ、赤い跡が見える彼女の指を口に含む。
唇に触れる指の感触は初めてのもので、好奇心が胸を突いた。
そして案の定というか当たり前というか、はやてちゃんにしては珍しく慌てた口調で私に言葉を掛けた。
「な、なのはちゃん!! 一体何をして―――」
「ふぇ? はふぃっへ・・・」
「咥えたまま喋らんといて!!」
よく見れば、込み上げる恥ずかしさを抑えきれなくなった彼女の顔は真っ赤に染まっていた。
そして私は、彼女の様子に驚きを感じない。
その理由は簡単で、つまりはこうなる事を分かって今の 行動を起こしたから。
「怪我をしているみたいだったから、消毒してあげたんだよ?」
指から口を離して体を起こした私はさっきのお返し言わんばかりに、笑顔で彼女に理由を話す。
「なのはちゃん・・・」
はやてゃんの口から漏れた溜息。
緊張から解放された安堵の息なのか、それとも微笑を作るために吐いた息なのか、私には判断できなかった。
「それとね、今から話す内容を手紙に書いて欲しいんだけど、良い?」
「え、あぁ・・・ええよ」
「ありがとう」
私は重心を後ろに傾け、体を支える為に両手をベッドに着いた。
視線を隣から前へと向け、再び口を開く。
「私には・・・大切な人がいます」
目を閉じてその人を思えば、先程までの事が嘘のように次々と言葉が浮かんできた。
「その人は決して真面目ではないけれど、人の心に敏感で、心の傷を優しく包み込んで、在りのままの私でいる事を許してくれる、不思議な人。本人も私と変わらない傷を負っているにもかかわらず、そんな様子を露ほども見せない、頑固で強い人・・・」
「・・・」
隣に視線を向けてはやてちゃんを見ると、彼女は黙っていた。
だけれど、きっと私の意図は伝わっている―――そう、確信できた。
「その人の優しさを知る度に嬉しくなって、私をもっと知ってもらいたくて、沢山の言葉を覚えましたその人の心の傷を隠す仕草を見る度に、心が締め付けられて苦しくなります・・・」
私は一度言葉を切り、小さく息を吸う。
いつの間にか閉じていた瞳を開けば、その視線は先程より僅かに上を向いていた。
「いつか私は、彼女を救ってあげたい。私が・・・彼女に救ってもらったように」
「なのはちゃん・・・」
「うん!!」
はやてちゃんから向けられた視線に私は、笑顔で応えた。









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